10years
2012年11月05日 中川 発
2002年の11月、デザインの勉強と仕事の利便を図るために単身上京して、丸十年を迎えます。今回は、思い切って簡潔に十年を振り返ってみようとと思います。(簡潔と言いながら長そう…)
さて、2002年は、制度的に見ても措置制度の最後の年、翌年から支援費制度~障害者自立支援法と法の上でも過渡期の時期で、そんな時にそんなに若くもない田舎モノが一人で、デザインの勉強をし、仕事をしつつ、かつ介助者を探し、さらにコーディネートしながら自立生活をする…。
実は、今だから話せますが、こんなこと本当にできるのかと、地元の友人たちなどは半信半疑で、引っ越して半月も満たないうちに帰って来るのではないか思っていたようです。
本人的にも、当時の貯金が尽きる半年後ならそれもあり得るかも~と思っているくらいの気負いのなさでしたが、もしかしたら、それがかえって良かったのかも知れません。
何より不思議なのは何か問題を抱えると、それを手助けしてくれる人と巡りあうというご縁があり、とにかくたくさんの人達に支えられて来たように思います。
最初の約2年半、東京コロニーの職能開発室が主催していた、グラフィックデザイナー養成講座を受講しプロのデザイナーとしての基礎を学びました。講座の先生は厳しくここで学んだことを時々思い出すと、気持ちが引き締まり原点に立ち返ることができます。
仕事の土台となる生活を支えるため十年間で100人以上の人たちに介助に入っていただきました。
出会った人たちの数だけある大切なご縁です。それぞれのおもしろエピソードは語り尽くせません。それはいずれ別の機会に。
もちろん、仕事でもたくさんの人にお世話になってます。es-teamの面々とタッグを組む時は仲間たちの存在は心強く安心できます。
es-team以外では、地域の人たちとの交流は、その地域の特徴やイベントごとを知ることができ面白いです。
それから、デザインユニットMIKKEの相棒の中村桂子さんとのあ、うんのやり取りは楽しい一時です。
生活も安定し、仕事も軌道に乗った五年前、年齢と病状の進行から、風邪をこじらせたことがはじまりで、呼吸筋が衰え、睡眠中の酸素濃度の低下にて緊急入院、夜間だけですが人工呼吸器ユーザーになりました。
これは予想外に早く訪れた大きな過渡期でした。
SOHOは仕事をしなければ生活が成り立たない、これ必然です。
しかし、ちょっとしたホコリでもむせ返り、咳が止まらず、止まるまで、ベッドに横になるしかなく、仕事よりも病院、医療にかかる時間が増えていき、気持ちばかりが焦る日々が続きました。
ネットでたくさんの情報を探し、足りない時は、医療系の専門雑誌を求めて自分に何が必要か調べ、訪問看護の看護師や往診の医師に、どうしたら良いのか相談したりもしました。
結果として、今まで通ったことがなかった、専門病院に受診し、たくさんの疑問に答えてくださる先生と出会い、この先の自分の状態を把握し、現状を如何に維持するかがカギとなることを知ることができました。
今年の4月、今までお世話になった介助派遣の事業所が会社自体を閉じることになり、ずっと続けていたヘルパー派遣のコーディネート業務をやめることになりました。
収入は減りますが、ヘルパー派遣のほとんどの責任を全部を自分で背負っていた時と違い、体力的、何より精神的な負担がかなり減りました。そして、これまで時間をかけることができなかったスキルアップの時間を得ることができたのは大きな収穫です。
この数年、特に今年はある意味、この先の自分を支えてくれる土台づくりに費やしたという感じかも知れません。
これから、体力、スキル、さまざまな点で、さらに難しいことが増えていく一方です。
仕事を続けるにはどうしたらいいのだろうか?不安もあり迷うことは多いです。
しかし、人とは違うチャレンジしがいのある課題を手にして、面白いとも思っています。
引き続き試行錯誤が続きそうですが、「いい感じ」でいるために精進していこうと考えています。