エス・チームは、在宅就労支援のパイオニア、(福)東京コロニーが運営する、働く障害者のチームです。
 
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運動

2012年08月10日  中村 発

こんにちは。中村です。
「あ (アイデア)」「い (椅子)」と来て、今回は「う」から始まる言葉をテーマにして書く回です(人呼んで「勝手かるた」)。
ロンドンオリンピック真っ盛りなので「運動」で行きたいと思います。
仕事の話というよりは障害の話なのかな。
例によって長いので、お暇なときにお付き合いください。自分の話しかしてないですし。
私は、運動が苦手です。いわゆる運動オンチ、運動神経が鈍い、というやつです。
足腰にケガをする前からそうで、幼稚園児の頃から体育の授業や運動会というものがイヤでイヤでたまりませんでした。
運動関係で数少ない「いい思い出」といえるのは、体つきがいつまでもガキっぽく軽かった中学生の頃に高跳びの選手に選ばれたことと、クラス対抗で体育祭の何かの権利を奪い合うための代表を選ぶじゃんけん大会でクラス代表になったことです(それ運動に関係ないから!)。
そんなわけで、「背が高く、ニカッと笑うと歯が白いスポーツマンタイプ(超さわやか)」とか、それとひっつく「スポーツも勉強もよくできて、美人でそのうえ優しいクラスメイト」とかに対してのひがみもあったのか、「運動」「スポーツ」をイメージさせる事柄はてんから馬鹿にしてかかる斜めな青春時代を送りました。
今思えばそんなひきつった気持ちが和らいだのは、トシを喰ったせいもあるかもしれませんが第一に、ケガをして「自分の身体=この世に物理的に存在して目に見えて、重さがあって日々代謝などをしている自分」というものに意識が初めて向かった(向かわざるを得なくなった)瞬間だと思っています。
「自分の身体」というか、もっと言うと、青臭い鼻息なんかメじゃない「物事の道理」というか・・・。
覆水は盆に返らないし、「豆腐をつぶしたみたいになってる」とお医者さんに言われた踵の骨は元に戻らないし。
ケガをするまで、大げさですが「わたくしが念じれば地軸だって曲げられます」くらいに思い込んでいた尊大な自意識と、その裏返しの卑屈な気持ちで淀みまくっていた心に、少しだけ違う価値観が芽を出した瞬間のような気がします。
リハビリを始めたときには、もっとハッキリそれを自覚しました。治療のために寝たきりだったせいで動かせなくなったところが、先生達の指示どおりに動かしてるとアラ不思議、日進月歩の勢いでグングン動くようになり。そして、どうやっても動かせなくなってしまった部分はいつまで経ってもどうやっても動かせなくなってて。それまではそこにあることも気づかなかった自分の身体のあまりの素直さに恥ずかしくなるほどでした。
「わたくしにも曲げられない地軸がある」ってことに、情けないことに大ケガを経て気がついた私です。
当時、入院中にサッカーフランスW杯(ナツカシイネ!)の予選があり、私はついにサッカー観戦などというものにハマってしまいました。
「汗くさい」「いるだけで室温が上がる」「脳みそが筋肉で出来てる」とハナで笑っていた「運動選手」たちのはずなのに、完敗です。
物事の針が極端から極端へとふれがちな私はその後、地元のチームや代表を応援して北は札幌、南は神戸(そんなに南じゃないな)までおっかけまわす日々が続いたりしました。
さてさて収拾がつかなくなってまいりました自分語りですが、「運動」といえばもう一つ、市民のデモなどが最近は盛んですね。
こないだ行ってきました。やっぱりコールリーダーの鳴り物隊などがいて、サッカーの応援に似てるなと思いました。
「運動」って生きてる証拠だとも言えますね。「心の運動=感動」のようにも思うし。うわっ、クサイこと言っちゃったところで、男子サッカーのメヒコ五輪以来のメダル獲得を祈って終わりにします。
あ、今回の五輪にオーバーエイジ枠で参戦している 吉田麻也選手のブログ面白いです。
2009年9月19日のJ1第26節於日スタ、横浜FM2-1鹿島
写真は、2009年9月19日のJ1第26節@日スタ、横浜FM2-1鹿島です。
ゴール裏に通っていた頃は、もっと臨場感あふれる面白い写真がワンサカ撮れたんですが、いま気づいてしまいました・・・それらの写真は、お懐かしメディア「MO」に保存されてて、今のマシンじゃ読めないということに!!悲しい-!!わたくしの青春を返せー!! ってお前の青春何回あるんだー!

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