佐久間 庸さんを偲んで
2013年10月18日 中村 発
去る8月末日、es-teamメンバーのひとり佐久間さんが逝去されました。
ご縁のあった皆さんから頂戴したメッセージを掲載します(立場を離れて悼みたいと考え、個々のお名前は伏せています)。
参考リンク
(古いため所々リンク切れがありますがお許しを)
東京コロニー主催 グラフィックデザイナー養成講座 佐久間さんのページ
(勉強の一環として、佐久間さんがクライアント役になり、他の受講生がデザインを担当し作成したものです)
同講座 卒業制作展 佐久間さんのページ
当ブログ佐久間さんのエントリー
ここから寄せ書きです。
佐久間さん、残念ながら仕事でご一緒したことはありませんでしたね。
でも、年に一度のミーティングの時に、すぐお隣だったことはありました。
あの時、佐久間さんの付添の方がちょっと席を外してる間に佐久間さんが使っていらした「医療器具」の様なものからアラーム音が鳴りだしたので、自分の付添の者があわてて佐久間さんの付添の方を呼びに行った事がありました。
丁度、付添の方も戻られてその時は「大したことじゃないよ。」って風に振る舞われてましたが、御苦労の中頑張られてる姿に、ちょっと自分の甘さを戒めました。
言わば、佐久間さんの頑張られている姿が自分のお手本でもありました。
単にes-teamメンバーを失ったという事以上に寂しさを感じます。
ご冥福をお祈りします。
佐久間さんとの思い出
初めてお会いしたのは十数年前。
「デザインをやってみたいです」と、控えめに、でもハッキリとお話しになったことをよく覚えています。
特に心に残っている思い出は、時折いただいた、音楽や絵についてのとりとめのない楽しいメールです。
オペラやミュージカルなどがお好きでしたが、派手めのものよりも、民族楽器やアコーディオンだけの舞台など、素朴なものの感想をよく送って下さいました。
絵画については、ダ・ビンチ、フェルメール、モネ、ムンク・・・、10数年でどんどん知識を積まれ、考察も深くなっていかれたように思います。
ここで少しだけ、いただいた絵画展の感想メールのご披露をお許し願えますか? >佐久間さん。
<藤原家>
>絵や書の表装がすごいと思いました。明・宋の時代の布を
>使っていて、藤原家の雅さを物語っています。
>実は今度の課題のポスターやチラシの勉強のもとになったのです。
>何処まで生かせるかが問題ですが。
<ダ・ビンチ>
>天才ぶり(努力家)がわかる展覧会でした。
>「受胎告知」もイタリアで観たよりすごく綺麗で
>神秘的でした。これは見せ方、演出の効果。
<モネ>
>新しくできたミッドタウンのモネ展を観てきました。
>睡蓮の絵はいろいろな展覧会で何度か観ていますが、8点も
>展示されてました。モネの絵は水がよく描かれていますが、
>水面に映る花はやはりとてもきれい。
<ボストン美術館浮世絵>
>版画でいつも不思議に思っていたことがあります。
>絵師の名前は当たり前なのですが、彫り師や刷り師の名前
>を見たことがありませんでした。
>今回、小さく彫り師と刷り師の名前が入った物を発見して
>うれしくなりました。
>絵師の描いた物を再現する高い技術力がなくては、浮世絵
>は生まれませんから。
こうした鋭い一面を持ちながら、常に周囲には柔らかい配慮をなさる方で、三菱商事さんご招待の展覧会にお申込みになる際も、
>人数に余裕があったら4人でお願いします。
>希望人数が多い場合は、抽選でなくそちらの方を優先させて
>下さい。
といつも付け加えてありました。
また、申し込んでも体調不良でご参加になれなかった時は、
> 大琳派展、風邪を引き行くことが出来ませんでした。
>折角手配していただいたのに、申し訳ありませんでした。
> 元気になったら、上野で観てまいります。
などと、必ずあとでゴメンネメールを下さったものです。
ここのところそうしたお便りがなかったので、なかなかご参加が難しいのかな・・・、と内心思っておりました。
本当にお辛かったと存じます。
これからは、世界中を風のように旅して、観たいもの、聞きたいものを心ゆくまで楽しんでくださいね。
そして、それを糧に、大好きだったデザインをたっくさん手がけて下さい。
佐久間さんからいただいた素朴で優しいお言葉やお気持ち、絶対に忘れません。
また会う日まで、サヨウナラ。
ありがとうございました。
以上
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幼い頃から大好きだった絵を描くことが難しくなっても、パソコンでグラフィックデザインを学び絵を描き続けられ、障害に合わせて今できることを精一杯に取り組まれていた姿勢にはとても感銘を受けていました。
佐久間さんのおかげで私でも働くことが出来るという希望をも持てました。
重い障害を抱えながらも一生懸命に働かれていた佐久間さん、本当にお疲れ様でした。
先日、佐久間庸さんが亡くなられたと聞き、突然のことで言葉を失いました。
佐久間さんとは、es-teamの仕事仲間であると共に、グラフィックデザイナー養成講座の二期生として机を並べ学んだ同期生でもありました。
デザイナーの養成講座は本気でプロを目指すためとても厳しく、先生の指導はいつも熱のこもったものでした。その中でひたむきに学ぶ、佐久間さんの姿勢はキラキラとまぶしく、こちらもがんばろうと励まされることが多かったです。
講座の授業や、そして仕事でお会いする時、ご自身のお母さまといつも二人三脚でいらして、ちょっとした合間にお母さまも交えてたのしく会話したことも忘れがたい想い出です。当時、田舎から上京したての私にとって、ホッとできる貴重な時間でした。
最近は、体調がすぐれないとのことで、ナカナカお会いすることが叶わず、そのままになってしまっていたことが何よりも悔やまれます。
心からご冥福をお祈り申し上げます。
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佐久間さんへ
僕と佐久間さんは、仕事上ではあまりご一緒することはありませんでした。でもプライベートで意外な接点があって親密感があります。
実を言うと、佐久間さんのお母さまのお兄さん(佐久間さんにあたる叔父さま)が僕の母の弟(僕にあたる叔父)と元同じ小学校の同級生でよく小さい頃に一緒に遊んだりご近所繋がりだったということ。
そして、佐久間さんが学生だった頃に、僕の従妹が偶然にも同じ学校でよく従妹が佐久間さんのお手伝いをしていたということ。これには驚きました。
ですので、佐久間さんに対する思いは深かったです。
一年に一回のes-teamミーティングでお会いするのがとても楽しみで、お会いする度に昔話で盛り上がり、佐久間さんと一度笑いながら「人生どこで繋がるかわからないね」と話した思い出があります。
佐久間さんのお通夜に参列させて頂いたとき、少し早めにお斎場に着き待合室に案内されました。そこには佐久間さんの生前に作られた作品が沢山飾れていました。数多くの佐久間さんの作品を見たときに、佐久間さんってなんて自分の仕事に拘りを持つプロのデザイナーなんだと思ってしまいました。誰もが自分の仕事には拘りを少なからず持っていると思いますが、佐久間さんの拘りは半端な物ではないと思いました。
うまく言えないんですが、これぞ仕事人!と目を見張る物がそこにありました。
後でお母さんから聞いたのですが、佐久間さんはグラフィック育成講座を受講されていたときに先生がとても厳しく、作品には障害の有無は関係ないと指導されていたそうで、佐久間さんはそれに応えるため負けずに一生懸命に課題をこなしていたそうです。相当仕事が好きだったんでしょうと思います。
そんな佐久間さんを思うと、まだまだやりたい事が沢山あったのではないかと感じます・・・
本当に佐久間さんと出会えてよかったてす。心から感謝しています。
まずはゆっくり休んでください、
佐久間庸さん、本当にお疲れ様でした。
合掌
佐久間さんへ。
佐久間さんとは2002年のデザイン講座からのお付き合いでしたね。
中庸の庸、素敵な名前だなと思ったのを覚えています。
パソコンやIMEを変えるたびに、「よう」で「庸」とサクッと出るようになると「このパソコンも私に馴染んできたな」と思いました。
佐久間さんの作品は、何を作っても軽やかで爽やかで上品で、先生がよく言っていた「作ったものには、その人の人物や来し方が全てあらわれる」という言葉が納得できた良い例でした。
いつも笑顔で瞳がキラキラしていて、女性の仲間とこっそりファンクラブの1号2号宣言をして笑ったこともありました。
講座にせよミーティングで顔を合わせたときにせよ、私はいつも自分のことで精いっぱいでチョコマカ動いていたので、あまりお話ができませんでしたね。
一方メールではよくやり取りしました。見た目の少年ぽさとは裏腹に、文章が常に謙虚で真面目で落ち着いていて、読むたびにそのギャップに軽い驚きがありました。
私が初めて短期IT講座の講師を担当したときの生徒さんでもありましたね。
最終課題で1つのサイト全体のHTMLコーディングをやっていただいたときのことが印象に残っています。文法の採点結果が、半角カナのエラーが4つあっただけであとは全ページ満点でした。あまり体調がよくないご様子だったにもかかわらず、出たエラーを一つ一つ根気よくつぶしていかれたんですね。
佐久間さんのお人柄に触れることができて本当によかったです。
次は、どこか緑のある公園のようなところで、空を見上げてしばらく一緒に過ごしたいです。
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このたびは御愁傷様です。
はやすぎます、、
残念でなりません。
とても、研究熱心で
人一倍デザインに向き合っていた記憶があります。
ご活躍されているのではと思っていました。
一緒に仕事したかったです。
一緒にお仕事する機会がなく、とても残念です。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
亡くなったと聞くと「あぁ、亡くなっちゃったんだ」と思いながら違和感を感じている。
いつかはこの日が来るとは思っていたが、それでも違和感がある。
以前にとても親しい友人が亡くなったときにも同じ感慨があった。いつまでも実感がわかず、いなくなっちゃったと思えず「これどう思う?」などと折に触れて問いかけていた。
亡くなったというより、どこかよそに旅行にでも行ってしばらく会えないでいるだけといった感じ。だからずっと「今どうしてる?」と問いかけ続けていた。
この感じは今でも続いている。「亡くなったわけじゃない、しばらく会えなくなっているだけだ」と今でも思っている。そう思っているから未だに時々問いかけている「これを観たらあいつはどう言うかな?」などと。
佐久間君は厳しい授業をとても頑張ってついてきてくれた。センスがよくまじめだった。まじめにして素直だった。それはデザインする者にはとても大事な資質だと思う。真摯な姿勢が伝わる作品を作っていた。とても真摯なので、講評も甘くなりがちだったことを覚えている。それはいつも楽しみでもあった。
親子で真摯に取り組んでくれたので気がつくとお二人に向かって授業をしていることがよくあった。
講座が終わった後でもデザインのコンテストの情報などを見ると「これ佐久間君がやるといいんじゃないか?」と思ったことも時々ある。おそらくこれからもそう思い続ける人なんだと思っている。
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佐久間さんとはお仕事でご一緒する機会は残念ながらありませんでした。
お目にかかった機会も少なくて、es-teamのミーティングでお目にかかったことと三菱商事さんから
ご招待いただいた展覧会で時々お見かけしたことだけですが、熱心に参加・鑑賞している姿がとても
印象的でした(お母様のお姿も)。
そして、ブログでの生き生きした文章も。
先立たれるといつも、もっとああしておけば良かった、こうしておけばという思いは常に残るもので
すが、佐久間さんともお話ししておけばよかったと残念に思っております。
ご冥福をお祈りいたします。
佐久間さんへ。
十数年前、本格的なデザイナーを3年で養成する!という無謀な(?)企画に参加していただき、無事に卒業制作展を開催することができましたね。小さい頃から絵画が好きだったという佐久間さんは、先生の厳しい指導のもと、どんどん成長していく姿がとても印象に残っています。きっと、佐久間さんが残した思いや成果は、他のメンバーが引き継いでいくことでしょう。在職中は色々お世話になり、本当にありがとうございました!
今日はトーコロデザイン教室でご一緒させていただいた者です。
若くてポジティブで活発な庸くんと会うのが楽しみだったのを覚えております
何かしらしてやろうという意志
今覚えばそんな若さ溢れるパワーを庸くんから貰っていたような気がします
前向きにたしかに進んでいた庸くんを覚えています。
最後になりましたがご冥福をお祈り申し上げます。
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「たとえほんわずかの時間であっても働きたい、働き続けたいという希望があれば、仕事として評価されるべきであり、そのために必要なルールは当然に構築すべき」。いまから4年前の2009年。厚生労働省内に設置された、障害のある人の在宅就労支援の将来像にかんする研究委員会において、ある委員の方がこう言い放ちました。当時その委員会の事務局をつとめていた私にとって、この言葉はあらためて自分たちの行ってきたこと、これから行っていきたいと考えていることを端的に表したものになりました。自分たちの言葉でいうなら「『一日中ベッドで過ごす人が3時間だけ起き上がり、そのうち1時間を仕事に充てたい』という明確な意思がある以上、es-teamのような多様な働き方を選択できるような仕組みが必要であり、その整備と普及を社会全体で支えていくことは急務」という思いを強くし、ときにはお客さまへ、ときには行政や福祉関係者へ、ことあるごとに話していくようになりました。そして、そんなときに一緒に提示していたのが、es-teamでこれまでに作ったWebサイトや印刷物などの成果物であり、そこには佐久間さんがこれまでにデザインしたチラシやノベルティグッズがたくさん含まれていました。これらの「実績」は、どんな言葉よりも勝るメッセージであったと感じています。
佐久間さんと出会ってからもうすぐ9年。当時の私はes-teamの担当として赴任したばかりで頼りない存在だったと思います。「言葉少なめ。でも考え方のしっかりしている、向上心高い人」というのが第一印象。おたがい旅行好きで、旅の話題で盛り上がることも何度かありましたが、思い出すのはやはりその仕事ぶりでしょうか。
・こんなのもあり?と、そのセンスに感嘆したノベルティ(絆創膏)デザイン案。イラストをちょっとアレンジしただけなのに、こんなにも印象が違うのかと感じました。
・そのデザインが不採用になったとき、めげずにさらにブラッシュアップされた案を出し、採用されたこと。「実際に絆創膏を指に巻いたときを想定して」とは、本人の言。
・大量の簡易地図の作成依頼を受けたときのこと。ストリートビューなどなかった時代に、自ら出向くことも叶わない中、その地域のことを丁寧に調べながら、ユーザー視点でポイントをまとめ提出してくださいました。「地道なデザイン」あらためて教えてくれました。
・お遍路の旅をされたお客さまから、「写真がたくさんあるから、これらを使ってオリジナル写真集をつくってほしい」と頼まれたとき、私は正直「これ難しい」と思っていました。それでも数少ない情報や条件の中、たくさんの写真を繰り返し並び替え、物語を紡いで一冊の写真集にまとめあげたときに、お客さまから「もういちど旅をしているようです!」と、感謝の言葉をいただいたときの達成感は忘れられません。佐久間さんは「追体験しながら作成した」という言葉を使いましたが、まさに旅のもつ深さと佐久間さんの根気が結実し、お客さまの喜びをもたらしたのだと思います。
悔やまれることも多々あります。あるコンテストのデザイン部門にエントリーすべく案を練っていたところ、そのコンテストが中止に…。たくさんつくったポスターデザイン。これは必ず活かしますね。
冒頭で述べた在宅就労支援の仕組み。これは制度として着実に進化しています。「自分にあったスタイルで仕事がしたい」という人たちの思いは、今よりもいっそう実現されていくことでしょう。このことは佐久間さんのような人たちが懸命の努力をし、着実に辿ってきたここまで道のりが、社会に影響を与え続けてきたからにほかなりません。
佐久間さん。もう、お会いして近況を語り合うことが叶わないのはとても寂しく残念なことです。でも、遺された幾多の「作品」がそうであるように、これからも佐久間さんは私たちを優しく見守り、時として背中を押してくれると信じています。
感謝の思いを込めて。心よりご冥福をお祈りします。